訒騫伝

原文はhttp://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7070より。

  訒騫,子長真,長沙人。少有志氣,為鄉鄰所重。常推誠行己,能以正直全於多難之時。刺史譙王承命為主簿,便說甘卓。卓留為參軍,欲與同行,以母老辭卓而反。承為魏乂所敗,以虞悝兄弟為承党,乂盡誅之,而求騫甚急。鄉人皆為之懼,騫笑曰:「欲用我耳。彼新得州,多殺忠良,是其求賢之時,豈以行人為罪!」乃往詣乂。乂喜曰:「君所謂古之解揚也。」以為別駕。騫有節操忠信,兼識量弘遠,善與人交,久而益敬。太尉庾亮稱之,以為長者。曆武陵、始興太守,遷大司農,卒於官。

訒騫は、子(字?)を長真と言い、長沙の人である。少有志氣であり、為鄉鄰所重となった。常推誠行己で、能以正直全於多難之時であった。刺史で譙王の司馬承は命じて訒騫を主簿に取り立て、便して甘卓を説得させた。甘卓は留めて参軍とし、自身に味方することを欲したが、訒騫は母が老辭卓という理由で反した。司馬承が魏乂に敗られると,虞悝の兄弟が司馬承の党だという理由で、魏乂は盡く誅殺しようとし、而して訒騫に求めて甚急した。郷土の人は皆、為之懼したが、訒騫は笑ってこう言った:「欲用我耳。彼新得州,多殺忠良,是其求賢之時,豈以行人為罪!」乃って往詣して魏乂と対面した。魏乂は喜んでこういった:「君所謂古之解揚也。」以為して別駕に任命した。騫は有節操忠信で、兼識量弘遠で、善與人交で、久而益敬であった。太尉の庾亮が稱之し、もって長者となした。曆武陵、始興太守となり、大司農に転任となり、在官のまま卒した。